ポリティカル・コレクトネス。略してポリコレ。
政治的正しさと訳され、現代では専ら「“多様性”を認め合って推進すること」という意味でつかわれる用語です。
近年、映画界ではポリコレ的要素が取り入れられたいわゆる『ポリコレ映画』が数多く作られ、世間では「つまらない」と評価されることが多いです。
理由としては、ポリコレ的要素を盛り込みすぎて、原作やオリジナルと大きく乖離したキャラクター設定やストーリー展開に魅力が感じられないという感覚に陥ってしまうためだと言われています。
なぜ「ポリコレ映画はつまらない」と感じるのか、ポリコレ要素を盛り込みすぎたおかげで爆死した作品、反対に評価をあげた作品を調べてみました。
目次
ポリコレ映画がつまらないと批判されるのはなぜなのか?
ポリコレ的要素が入った映画はなぜつまらないと言われるのか。
ポリコレ映画がつまらないと言われる要因を挙げてみました。
原作キャラクターの改変
原作小説や漫画、アニメやシリーズものの作品、過去作があるものをリメイクする際、登場人物の肌の色や性格、性的嗜好などを含めた設定が変更になるケースです。
最近だと、1989年に公開されたディズニーアニメの実写リメイク『リトル・マーメイド』の主人公・アリエルが白人女性から黒人女性に、大人気スパイ映画『007』シリーズの主人公が白人男性から黒人女性になりましたね。
また、『トイ・ストーリー』シリーズでも、以前はお姫様キャラだった人形が、後のシリーズでは突然自律的でビジュアルも180度変わったキャラクターで登場します。
原作のアニメ化、アニメの実写化は、ささいな違いであっても気になるもの。
元の媒体で馴染んだビジュアルや性格・設定の大きな変更は、そのまま大きな違和感として新しい作品への反発が大きくなりますよね。
キャラクターやストーリーに共感ができない
オリジナル作品の内容や登場人物、シリーズものの新しい登場人物であっても、少数への配慮に媚びが見えてしまうと萎えてしまうもの。
ポリコレに配慮したキャラクターやストーリー展開が強調されすぎると、強調される点に観客の意識が持っていかれてしまい、結果として多くの観客の共感が得られない作品になってしまいます。
誰にでも受け入れられるように作られた刺激の少ないストーリー展開
中立・公正を追求するあまり、作品そのものの個性をつぶしてしまうという意見が多いのも、ポリコレ映画の特徴です。
誰からも批判されない作品を作るということは、作家や製作者が本来表現をしたかった個性や強みを消すことに繋がります。
万人受けを狙い刺激を少なくすることで、物語の起伏が少なくなるばかりか、結果的にストーリーが破綻してしまう作品も生み出されてしまいます。
万人という名の少数に配慮するあまり、そもそものターゲットが誰であったのかわからなくなり、面白くない作品が生まれるのです。
いつごろ生まれて、誰に何を配慮した?
ポリティカル・コレクトネスという言葉自体は、遡ると1700年代から存在していたようですが、『ポリコレ』的要素が映画に取り入れられ始めたのは、いつごろからなのでしょうか。
また、ポリコレ映画はどのような人やことに配慮された映画を指すのでしょうか。
ポリコレ映画はいつ頃生まれたのか?
ポリコレ映画の「誕生」という点に関しては、特定の年代や時期を指し示すことは難しいです。
なぜなら、映画はその性質上、常に時代の文化的、社会的変化を反映するものであり、ポリコレ的要素も徐々に取り入れられてきたからです。
ただ、ポリコレ的要素に焦点を当てた作品は、1990年代から徐々に現れてきたとされています。
この時期は、社会的多様性や包括性に対する意識が高まり、それが映画産業にも影響を及ぼし始めた時代です。
1990年代ごろから人種、性別、性的指向などに関する社会的議論が活発化してきたことに伴い、これらを扱う作品が増え始め、2000年代に入るとこれらのテーマは映画業界全体に広まっていきました。
ポリコレ映画は誰に何を配慮して作られるのか?
ポリコレ映画によって配慮される人は次のようなグループとされています。
- 人種や民族が異なる人々
- 女性
- LGBTQ+
- 障害を持つ人々
- 異なる社会的背景を持つ人々
ポリコレ映画は、上記のグループに属する人々が不快な思いをすることのない、尊厳が守られるよう配慮される作品作りが求められているようです。
ポリコレ映画が面白くなる可能性はある?
ポリコレ映画が面白くなる可能性は十分にあります。
映画が誕生して約130年。
映画は常に社会的変化のバロメーターの役割を果たしてきました。
ポリコレ映画の持つ多様性と包括性は物語を豊かにし、未探索のテーマや新しい視点を提供することができます。
重要なのは、これらの要素を自然に物語に織り交ぜ、観客に訴えることができるかです。
多様性をただ表面的に扱うのではなく、キャラクターの深みと物語の複雑さを高める方法で利用することが鍵になると思われます。
2023年末、アメリカのディズニーCEOのボブ・アイガ―氏が会見で、近年「ポリコレと揶揄される要素がエンターテインメント性を上回っているのでは?」という指摘に対して、同社の作品やキャラクターがメッセージ性に偏り過ぎていたことを認め、「最優先されるのは人々を楽しませることだ」と発言しました。
映画づくりの現場では、多様性を取り入れながら人々を楽しませることができる作品作りを日々模索し続け、これからも私たちをワクワクさせる面白い作品を生み出してくれることでしょう。
ポリコレ映画への世間の評価
ポリコレ映画と評判の作品に対して、世間はどのような反応を見せているのでしょうか。
何件か探してみました。
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映画館には娯楽を求めているので、表現の押し付けに拒否反応を感じてしまう。
普段映画を見ない人が話を複雑にして騒いでいるだけではないか。
映画のストーリーやキャラクターと「ポリコレ」的要素が噛み合っていれば、気にならない。
という意見が目立ちました。
つまらないと批判されたポリコレ映画3選
世間から「つまらない」と批判されたポリコレ映画はどのようなものがあるのでしょうか。
3作品を紹介します。
リトル・マーメイド(2023年・アメリカ)
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1989年にディズニーが製作・公開したアニメーション映画の実写化です。
1989年版では白い肌に真っ赤なロングヘア―だった主人公・アリエルが、実写映画化された際、黒い肌に茶髪のドレッドヘアーと、ビジュアル面が大幅に変更されました。
1989年のオリジナル版や、ディズニーランド等のアトラクションで「リトル・マーメイド」に親しんできたファンからは、「原作アニメの白人キャラクターを黒人にした理由がわからない」「主人公・アリエルのイメージを守って欲しかった」という声があがりました。
アリエルを演じたハリー・ベイリーへの批判よりは(歌唱力は折り紙付きの歌手なので)、製作陣への批判、オリジナル版キャラクターの改変が、主だった批判の対象だったようです。
ストレンジワールド/もう一つの世界(2022年・アメリカ)
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こちらもディズニーのアニメーション映画ですが、原作なしのオリジナル作品です。
ストーリー自体は王道的な「危機を打破するために冒険に出る」というものに「家族間の葛藤」がプラスされたものですが、公開直後から、ポリコレ要素全部盛りの作品と批判されました。
例えば、主人公と周りの設定からポリコレ要素がこれだけうかがえます。
- 主人公がゲイ。その相手もゲイ
- 主人公が黒人と白人のハーフ
- 主人公の飼い犬の足が一本ない
- 父親と祖父が息子(主人公)がゲイであることに寛容すぎる(気にしていない)
これらの設定は、ストーリー上まったく関係がありません。
ポリコレ要素を詰め込んだだけと批判されるわけですね。
観客からは、共感できるキャラクター、魅力的なキャラクターがいない。という意見が多数。
なお、この作品の興行収入は約7360万ドル(全世界)。
制作費は約1億8000万ドルなので、大爆死と言ってよいでしょう。
ウィッシュ(2023年・アメリカ)
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ウィッシュは、ウォルト・ディズニー・カンパニー創立100周年の記念に製作された、オリジナルのアニメーション作品です。
このウィッシュも、主人公アーシャが黒人であることから、リトル・マーメイドからの流れでポリコレ色が強いという批判がありました。
そして、ウィッシュの舞台となっている王国(ロサス王国)は、一見平和な国に見えますが、王族と庶民との間の差別が描かれ、主人公が王様の独裁を覆すという、社会問題への意識の高まりを取り入れた内容になっています。
日本では興行収入35億円とヒットしましたが、日本以外の国(製作国であるアメリカや中国)の興行収入は低調でした。
制作費約2億ドルに対して、世界の興行収入は約2億5000万ドル。
100周年記念作品であるにも関わらず、大苦戦を強いられる結果となりました。
たまたま3作品すべてディズニー映画になってしまいましたが、それだけ多くの人が期待するディズニー作品のポリコレ要素が目立つということでしょうか。
ポリコレ映画のうち、「面白い」「マトモ」「見て良かった」と評価された映画
これまで、批判の声が大きかったポリコレ映画を紹介してきましたが、反対に、評価された作品にはどのようなものがあったのでしょうか?
ズートピア(2016年・アメリカ)
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人間は登場せず動物たちが活躍する世界の話ですが、現実の存在する人種問題を動物に置き換えることで、直球の差別問題をマイルドにしてスクリーンに映した作品です。
草食動物と肉食動物、それぞれの動物間でも力のあるなしで、お互いが何等かの差別や偏見をし合っている様を、愛すべきキャラクターに乗せて表現しています。
作り込まれた世界観と質の高い脚本で、「違いがあってもわかりあえる、協力しあっていける」という非常に明るいメッセージに昇華させるという、ポリコレ的要素の含んだ作品の成功例としてしばしばあげられる一本です。
グレイテスト・ショーマン(2017年・アメリカ)
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19世紀に活躍した興行師を主人公にしたミュージカル映画です。
脚本に難ありという評価もありますが、貧富の差や身体的・人種的な壁、芸術と大衆文化の壁、人々が直面する多くの壁の一つ一つをあえてクローズアップさせることなく、当たり前にある壁を当たり前に存在させることが、ポリコレ映画として素晴らしいと評価されている点のようです。
ヘアスプレー(2007年・アメリカ)
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2002年に上演されたミュージカルの映画化作品です。
1960年代の黒人差別が残るアメリカを舞台にし、ふくよかな女性がダンス番組に出演するというストーリーです。
ルッキズムや人種差別を絡めたストーリーで、現代でも実現できていない理想的ととられかねない展開も、作品の持つエネルギッシュさで観客をハッピーな気持ちにさせる一本です。
ポリコレ映画として評判がよいとされている作品は、ストーリーに無理がない、ポリコレ的とみられる要素をいれても、入れたことに必然性が感じられる作品が多いようです。